オーベルシュタイン夢小説
30代女性士官の話
その2

 その翌週の週末、また軍務尚書から「夕食に行かないか」と声をかけられた。今度は化粧品ポーチも用意したので、向かう前にちゃんと化粧を直し(あまり変わらなかったが)、若い頃に勢いで買った宝石付きのピアスも着けて出向いていった。尚書閣下は相変わらず、私が食べるのを黙って見つめ、これといって何を聞くでもなく家へ送った。
 1週間をおき、その次の次の週に3度目の食事に誘われた。よほど気に入ったのか、3度ともあの高級レストランだった。尚書閣下は、やっぱり黙って見つめているだけだった。
 更に2週間後、4度目の夕食に呼ばれた。またあの店。また全額おごってくださった。だか、やはり黙って見ているだけだった。

 5度目の誘いを受けたとき、さすがに私は気味が悪くなってきていた。

 私の為人を知りたいというなら、存分に調べてもらって構わない。何らかの叛乱や汚職の疑があるというなら、それも気が済むまで探ってもらって、早いところ疑いを晴らしてほしい。隠し事も悪さも、何もしていない。
 でも、何も聞かれない。ひたすら高価な食事をおごられ、黙って見つめられるだけ。彼が口をきくのは、私が質問したときだけだ。いくら尚書閣下が権謀術数に長けているとはいえ、私を陰謀にかけて彼に得があるとは思えないし、食事をおごられてどうなるとも思えないけれど、あまりに目的が読めなさすぎて薄気味悪い。

「閣下。その…あれほど良い食事をご馳走して下さって、大変ありがたいのですけれども…お安くもないでしょうし、こう何度もご馳走頂いていては申し訳ございませんので、そろそろ遠慮いたします」
 ある時、そう告げると、特に表情を変えるでもない軍務尚書に代わって、横から『ヒュッ』と息を呑む音がした。
 振り返って見ると、副官席のフェルナー准将が顔を青くしていた。
 ん? …何か、まずかったのだろうか。もう4度行ったのだし、断ってまずいとも、礼を失しているとも思わないけれど…。
「そうか…」
 軍務尚書が答えるのを聞き、視線を正面に戻す。相変わらず、その顔からは表情の変化が読み取れない。
 …ううん。これまでの食事の見返りに、尚書閣下が何を求めていたのか知りたいなあ。命を捨てるような任務に就けとか? …少々不躾な気はするけれど、ここは直球で聞いてしまうか。
「尚書閣下。至らぬ身ではございますが、帝国と皇帝のおん為、尚書閣下の命とあれば、小官はいつでもこの身を捧げる所存です。どうぞ、目的をはっきり仰ってください」
 横のフェルナー准将がまた息を呑んだ。さっきから何だろう、一体。今度はそちらの方を見ず、軍務尚書と向かい合ったまま答えを待った。
「……トラウトナー中尉。目的は…特に、何もない」
「何もない…?」
「ああ。食事に誘ったことは、軍務と何ら関係ない」
「さようですか。では、何のために?」
「……貴官が楽しんでくれれば、それで良かった。軍務ならば、貴官は立派に果たしてくれている。その報いだと思ってくれていい」
「……しかし、それではつじつまが合いません。軍務を果たしている部下なら、私の他にも大勢おりますでしょう。度が過ぎています」
「…………貴官の言うとおりだ」
「でしたら、」
「貴官の進言は、重く受け止めておく。退出してくれ」
「……閣下、」
「命令だ。退出して職務に戻れ、中尉。食事の話は、忘れてよろしい」

 はっきり命令として告げられ、仕方なく口を閉じ、敬礼を済ませて執務室から出ていった。結局、不可解な『食事へのお誘い』の理由を知ることはできなかった。

      ***

「中尉。ちょっと、いいかい? …お昼、おごるからさ。軍務尚書のことで話をさせてくれ。…人に聞かれないところで」
 翌週、ミーナは、昼食に出かけようとしたところを、フェルナー准将に呼び止められた。彼女は二つ返事で是と応じ、フェルナーについていった。省内の食堂で二人は弁当を買い求め、それを持って、防音壁つきの会議室へ向かった。
 入って扉を閉め、ミーナが席についたことを確認すると、フェルナーは話を切り出した。

「貴官が、尚書閣下をフッた件なのだが…」
「はい??」
(なんて?)

「……貴官が、尚書閣下を、フッた件」
「何のことかさっぱり分かりません、閣下」
「……きみ。尚書閣下に、夕食に誘われたね?」
「はい。5回ほど」
「最後のは断っていたけれど、その前は行ったね?」
「はい。4度、参りました」
「……その食事の目的は何だったと考えている?」
「まったく分からないので、先週、尚書閣下にお伺いしたところです」
「…………はぁ〜〜〜。なるほどね」
 フェルナーは、頭を抱えた。
(あの軍務尚書がロクにそれらしいことを言わず誘っていたせいもあるだろうが、これは中々、攻略の難航しそうな女性だ。あんまりこっぴどいフラれ方をしていたものだから、思わず「いったい何をしでかしたんですか」などと意地の悪いことを言ってしまったが(そのせいで余計に軍務尚書の周囲の温度が下がり、慌ててフォローを入れた)、これは高難易度だ。下心なく男が何度も食事に誘うはずないだろう。それくらい常識でわからんものかね)
(妙だな。たしか彼女には、結婚願望があると聞いたのだが……いや、結婚願望があるのに今の今まで恋人がないからこそ、こうなのかもしれない……)

      ***

 おれが、軍務尚書から彼女への熱い視線に気づいたのは、フェザーンに軍務省の機能を移動して2ヶ月ほどの頃のことである。その視線は、彼をよく知らない者から見れば『氷のように凍てつく鋭い眼光』であったが、実際には愛着を帯びたものだった。
 試しに問い質してみると、軍務尚書は答えに詰まった。あの軍務尚書閣下が、だ。おれが証左を得るには、それだけで十分だった。

 ミーナ・トラウトナー中尉は、ゴールデンバウム王朝時代から軍務省で働いている古参者である。が、前王朝への執着はまったくと言っていいほど見られず、新王朝も新皇帝も、新軍務尚書も歓迎している。
 長身の軍務尚書やおれほどではないが、女性のわりに背が高い。見下ろされる男性士官が多く、『怖い』と評価する者も珍しくないようだ。容姿はまあまあで、結婚願望があるそうだが、恋愛経験はないと常々嘆いているとのこと。
 出世願望が乏しく、その機会もないので目立たないが、実は仕事ぶりが抜きん出ている。
 彼女の、新体制への忠誠心の篤さ・上がってくる報告の質の高さ、そして(恋愛不得手ならではの)身辺のクリーンさを、軍務尚書は大変気に入ったようだった。部下としては勿論のこと、異性としても並々ならぬ関心を抱いたらしい。

 しかし尚書閣下は、「見ていられるだけで十分だ」などという、彼女に男ができたり、死別するはめになったりしようものなら、途端に激しく後悔する人間が言う典型的な台詞を吐き、何もしないおつもりでいた。絶対そんなワケがないことは、古典劇でも腐るほど示されている。
 そこで、おれは閣下の副官として、閣下のお心の安定に努めるべく──そして、普段の陰謀活劇とはまた違った、筋書きは典型だが役者が面白いメロドラマを観劇すべく、二度とないかもしれない義眼の上司の恋を後押しすることにしたのだ。

 軍務尚書に女を口説かせるのは難しい。それは、魚に地上でマラソンを走らせるようなものだ。なので、まずはプレゼントで気を引かせることにした。
 すると、ゴテゴテと宝石が載ったプラチナの首飾りを贈ろうとするので
「閣下! 初手から重すぎます! それに、中尉はどこでソレを使うのですか」
 と、慌てて制止した。そして、おれの個人的な女性動向調査から、人気ブランド店の菓子折りをピックアップして、それを贈るよう提案した。
 結果は上々だった。情報処理室の同僚たちの証言からいっても、当時の監視映像からみても、彼女は大変よろこんでいた。
 その映像は、いまだに尚書閣下がリピート再生して観ていることがある。早くこの2人をくっつけて、この行動を不祥事にさせないようにしなくては…。

 次に、彼女を夕食に誘うよう提案した。
「仕事でもないのに何を話せばいいのか」と渋る閣下に、『女性は自分が喋れるほうが好きなので、無理に話す必要はないこと』『聞き役に徹し、相手と自分の発言比率が9:1程度になればむしろ成功であること』をアドバイスした。『これを機に彼女の情報を得、後日の話の種とすればグッと親密度が上がる』とも伝えた。ついでに、良いレストランで食事をおごれば、好感度の底上げはバッチリだろう。
 閣下の初デートなどという見逃せないイベントを観劇するべく──もとい、後援者として心配なので見守るべく、夕食に出かけた2人の車の後をつけ、レストラン脇に止めた車の中から内部の監視カメラにアクセスし、おれは2人を見守った。運良く、レストランの給仕を買収できたので、彼らのテーブルに盗聴器を仕掛けさせ、音声を拾うこともできた。
 プロポーズでもなければ准将のおれでも行かない超高級店に最初から連れて行ったのを見て、平民出身の彼女はドン引きするのではないか…と、ヒヤヒヤしたが、幸い『元帥閣下ならこの位の店に行くのだろう』と考えてくれたようだ。
 普段から皇帝の世話をしている甲斐あってか、『好きなものを頼め』で投げっぱなしにするのではなく、『肉か魚か』『焼くか煮るか』などの簡単な選択に落とし込んでメニュー選びを手伝う閣下の声に、おれは思わず車で1人拍手した。
 いいぞ。勝手に選んでしまうのでも丸投げにするのでもなく、意思を尊重しつつ助け舟も出す。これは相当ポイントが高い。
 料理についても彼女は大変気に入ったらしく、例の『おいしい』の顔をして食べていた。
 軍務尚書が食い入るように彼女を見つめている。
 閣下! 少し抑えて下さい! マカロンを噛みしめる彼女の映像を延々見つめる姿も傍から見ていて大分キツかったのに、真正面から本人にぶつけてはアウトです!
『今の様子を見る方が、連れてきた甲斐がある、と思える』…あ、ちょっとセーフな感じになりました。ナイス言い訳です、閣下。

 後日、見ていたことは伏せつつ首尾を聞いてみると、あの後は何もせずに自宅まで送って帰したらしい。なんでも、疲れていたのか、彼女は途中で眠ってしまったそうだ。
 プライベートとはいえ、尚書閣下の横で寝落ちできるとは、なかなか肝の据わった女性だ。皇帝よりすごいかもしれない。
 その翌週、ふたたび夕食に誘った折には、初めて見かけるピアスを着けて来てくれたそうだ。妙に来るまでに時間がかかったと思ったら、化粧も直していたらしい。
 すばらしい。すっかりその気じゃないか。急に羨ましい気がして、「ちゃんと褒めましたか」などと意地悪を言ってみると、予想通り「いや」と返事が返り、軍務尚書の顔が陰気に戻ってしまった。
「次がありますよ」とフォローを入れると、ほんの僅かに彼の顔がほころんだ──見慣れていないと、まったく表情が変わっていないように見えるが。

 この調子なら、問題ないだろう。そろそろ、おれが余計な茶々を入れるのは止めにするか。そう、思った矢先の出来事だった。

「こう何度もご馳走頂いていては申し訳ございませんので、そろそろ遠慮いたします」
 あああ…!
「どうぞ、目的をはっきり仰ってください」
 ──デートです……!! とは、言える空気じゃない…!
「命令だ。退出して職務に戻れ、中尉。食事の話は、忘れてよろしい」
 …………終わった……。
 トラウトナー中尉が敬礼し、退出した。あとには、夏だというのに、氷河期のごとく冷え切った執務室が残された。

 軍務尚書は、後押ししたおれを責めなかった。表立って嘆く気配もみせない。普通の人間には、いつも通りに働いているようにしか見えないだろう。
 だが、おれにはわかる。今、彼の中では、後悔と嘆きと、自身に対する怒りとが、極寒のブリザードになって渦巻いている。その寒気が彼の体外まで滲み出て、おれの副官席もある執務室は氷河期に入ってしまった。
 夏なのに、温度計の針は適温を示しているのに、震えが止まらない…。

 なんとかしなければ。

      ***

「なあ。おれがバラしたということは、秘密にしてほしいのだが…」
「はい?」
「まずな、尚書閣下がきみを誘った夕食の目的は、デートだ」
「へっ!? 黙って、私が食べるのを見つめておられた、アレが…!?」
「ああ。『聞き役に徹するといい』とおれがアドバイスした。すまない。あと、きみがする『おいしい』の顔がホンットお好きらしくてな」
「……うそお」
「本当なんだ。…で、ここからが本題だが」
「はい?」
「きみは、尚書閣下をどう思う。好きか嫌いか、あえて言うならどっちだ?」
「え……。…そうですね…上官として、好感がもてる…と、思っております。男性としては…ウウン…まだ、よく分かりません」
「結構。軍務尚書相手に『嫌い』と即答しないだけで、適性はバッチリだ。きみ、尚書閣下とお付き合いしてくれ。頼む」
「えっ!?」
「できれば結婚もして一緒になってほしい」
「えっ!?」
「結婚したいんだろう? 相手は、この国にたった3人しかいない帝国元帥だぞ。皇帝への大逆罪以外、刑法で裁かれることもない権力者だ。これ以上の人間は、それこそ皇帝ラインハルトしかいない。陛下は、即位前からの秘書官と良い仲だ。他2人の元帥たちにしたって、1人は既婚だし、もう1人は美男子だが女性の扱いの評判は悪い。軍務尚書はいいぞ」
 きみが彼を嫌いでさえなければ。
「女性を手酷く扱ったなどという話も一切ないし、」
 そもそも女性経験があるか怪しいが。
「真面目に働かれるし、不正を許さない御方だ」
 度を越して正論がすぎるので、皇帝や元帥たち、諸提督方にも嫌われているが。
「浮気も絶対されないだろう」
 (多分)
「宝石でもドレスでも、きみが欲しがればきっと何でも買ってくれるぞ」
 買おうとしてたしな。寿退職は許してくれなさそうだが。
「どうだ?」
「……ううん。…あの。そもそも、尚書閣下は本当に、私のことなんかがお好きなのでしょうか…?」
「それは絶対に間違いないことを保証する」
 これで断られたら、もれなくストーカー案件になることを大分やらかしているしな。もしそうなったらおれは、不祥事の揉み消しに奔走しなければならなくなる…。
「……即答は、ちょっと…考えさせていただけませんか」
「わかった。では、今日の勤務後きみと会うよう、おれが今から閣下を説得する。きみは、ここで聞いたことを伏せ、『話がある』とだけ聞いてきたという体で彼に会ってくれ」
「…? あ、はい」
「おれは閣下が告白するよう焚き付ける。『これが最後のチャンスだ』と言ってね」
「へ!?」
「きみの答えは、それまでに決めておいてくれ。断るなら、それもよし。受けてくれるなら万々歳だ。いいね?」
「…ええー…えぇ…えぇぇえ?」
 ミーナは目を白黒させた。展開が早すぎて、頭が追いついていなかった。
「…なあ、トラウトナー中尉。人生には、重要な選択をしなきゃならないときが多々ある。そういうときは大抵、じっくり検討する時間がないんだ。大事なことだっていうのにな。でも、それでも決めなくちゃいけない。おれも、閣下の下に着く前、それをこなしてきた。間違えたら、死ぬところだった。本当、ヒヤヒヤしたよ。…そうだな。先輩としてアドバイスさせてもらうなら…おれは、こっちを選んで良かったと思っているよ」
 そう言うと、フェルナーは椅子から立ち上がり、まったく手を付けていない弁当を取り上げた。
「残りの休憩時間は、1人でじっくり考えるといい」
 それを最後に、フェルナーは会議室を出ていった。弁当は、丸々残したまま返却口へと戻す。これからやるべき事を思うと、緊張で食欲が失せてしまっていた。

(さて。幕だけは上げて観劇を楽しむつもりが、演出から脚本から演技指導から、何から何まで監督することになってしまった。これじゃ、自作の芝居を見るようなものだ。にも関わらず、この寸劇の先が気になって仕方がない)
(ハッピーエンドで終わってほしいものだ……)
 いつもならば、喜劇も悲劇も楽しめるフェルナーであったが、今回だけは、そのように願ってならなかった。