世界線を超えて
その2

 2周目。祝勝式典の直前へリープし、アンスバッハ准将をあらかじめ捕らえる。すると、彼の手の者が代わりにローエングラム候を襲い、候が死亡した。
 3周目。キルヒアイス上級大将に、式典へ銃を持ち込まないよう頼む。断られる。最初と同じ事件が起き、候が死亡した。
 4周目。予め、関係者にアンスバッハ准将の企みを一通り伝える。すると、彼の手の者が未観測の方法でローエングラム候を襲い、候が死亡した。
 5周、10周と繰り返し繰り返し時間を巻き戻し、別の手をつかう。だが、どれを試しても、まるで、世界そのものがローエングラム候を必ず仕留めんとするかの如く、候はやはり死亡した。
 11周目からは、もう少し過去――リップシュタット戦役の直前まで戻ることにした。あてはないが、もう少し落ち着いて考えられれば、あるいは有効打が浮かぶかもしれない。

      ***

 元帥府の通路の窓ごしに、雲ひとつ無い青空と、そこを飛ぶ白い鳥が見える。綺麗だ。空駆けるブリュンヒルトのように美しい。
 その光景は、血の海に沈む金髪と阿鼻叫喚の式典とを見続け、キルヒアイスの慟哭を聞き続けた私にとって、天上(ヴァルハラ)もかくやとすら思う景色であった。
「どうかなさいましたか?」
 思ったより長く窓の外を見つめ続けてしまったらしく、さっきは居なかったはずのキルヒアイスが話しかけてきた。ビクリと体を痙攣させ、私が彼に視線をむける。
「すみません。ぼんやりしておりました」
「顔色がお悪いですよ」
 心配そうな表情を浮かべ、キルヒアイスがそのように言う。この元帥府で自分にそのような優しい言葉をかけてくれるのは、彼をおいて他にいないだろう。
「いつものことです」
 自嘲まじりに応じてみると、キルヒアイスは首を左右に振った。
「いつもよりもお悪いです。疲れが溜まっておられるのでは? ――何か、ありました?」
 深刻そうに彼が尋ねる。自分は今、相当ひどい顔をしているらしい。
『じつは、かれこれ10回、ローエングラム侯爵が暗殺され、その遺体を抱いて慟哭するあなたを見てきまして』そう言ったら、彼は私を狂人扱いするだろうか。いや、やさしい彼のことだから、ローエングラム伯に万事知らせ、私に長めの休暇をとるよう命じてくれるだろう。
 だが、おそらく休めない。赤毛の彼の慟哭が、脳裏について離れないから……。
「なにもございませんよ」
 そう笑顔をつくって応じる。だが、キルヒアイスの顔はサッと青ざめた。
 いかん、しくじった。それもそうか、『かなり何かがある』ようにしか見えんだろうな。これだから私は、いつまでもいつまでも……。
「ちょっと、こちらへ」
 青ざめたキルヒアイスが私の腕を引き、空き部屋へ連れ込んでソファにかけさせた。従卒にコーヒーを持ってくるよう命じる。腰を据えて話を聞くつもりらしい。
 従卒が退室すると、向かいに座ったキルヒアイスが身を乗り出した。
「なにがあったのですか?」
『なにもございません』を絶対に信じない顔で尋ねられる。
(どうしたものか)
 正直に伝えてしまえば、すでに踏んだ失敗の二の舞となる。アンスバッハらの手の内を読み切れていない今、そうなることを避けたい。早く、彼の為に候をお救いする方法を探さねばならないのに……。
「……なにも、ございませんよ?」
 他に思いつかず、そう繰り返す。だが、それで解放してもらえることは無かった。
「提督がたのどなたかに、なにか?」
「いえ、ですから」
「ローエングラム伯ですか?」
 一瞬、彼の死に様が頭にうかぶ。それを脳裏から消し、また笑顔をつくる。
「なにもございませんよ」
『コンコン』と、そのとき扉が鳴った。
「キルヒアイス? いるのか?」
 噂をすれば影、ならぬ伯だ。これで解放されるかもしれない。
 キルヒアイスがバッと立ち上がり、ツカツカと扉に歩み寄る。彼が扉を開けた。奥には、伯が立っていた。
「やっと見つけた。戻るのが遅いから」
「ラインハルトさま、ちょうどようございました」
「えっ何」
 伯とともにキルヒアイスが通路に出て行き、「少し待っていて下さい」と言い残して扉を閉めた。
 ……出口はそこだけだ。出られなくなった。彼らのヒソヒソ声が聞こえてくる。
『ラインハルトさま、オーベルシュタイン大佐に何か仰いましたね』
『は? なんの話だ』
『何かキツいことを仰ったでしょう。胸に手を当ててよくお考えになってください』
『なっ!? オーベルシュタインがそう言ったのか?』
『いいえ。なにもないと言い張っておられますが、相当まいっています。ラインハルトさまの名前を出したら、表情が凍りました。きっと原因はラインハルトさまです』
(いかん。そうとられたか)
 私は席を立ち、ガチャリと扉をあけた。若い二人がビクリとこちらを見る。
「失礼、キルヒアイス閣下。ローエングラム伯は何もなさっておられません。誤解です」
「ほ、ほらみろ。キルヒアイス」
「……本当ですか?」
 キルヒアイスが疑わしげに尋ね返す。濡れ衣を着せられた伯の方が、後ろでよほど色をなくしていた。
「はい。本当に、なんでもございません。ですから、お気になさらないでください。失礼。ご指摘どおり疲れが溜まっているやもしれません。散歩に出て参ります」
 そう言って彼らの脇をすり抜け、私は早足にその場を去った。キルヒアイスは、それ以上は放っておいてくれた。
『お前がなにかしたのではないか?』
 仕返しとばかりに、ローエングラム伯が逆に尋ね返す声が後ろから聞こえた。

      ***

 どこへ行くでもなくさまよい、人気のない公園をみつけ、そこのベンチに腰を落ち着けた。ようやく一息つく。
 先程の自分を思い出し、顔をおおう。
(とんだ演技力のなさだ)
 これほど周囲に違和感を与え、根掘り葉掘り尋ねられてしまうなら、秘密を守り切れそうにない。これからどうすればよいのか……。
 自己嫌悪感はひどかったが、天気がよく、風もここちよく、葉擦れの音が聞こえ、その場所は随分おちつけた。ここで考えれば、少しは良い案が浮かぶかもしれない。
 そう思ったのも束の間だった。
「オーベルシュタイン大佐だな?」
 聞き覚えのある大きな声が聞こえ、ビクリと体を跳ねさせる。嫌な予感をおぼえながら声の出所に目を向けると、予想通り、そこには粗野な提督と名高いビッテンフェルト提督がいた。非番なのか、私服姿で買い物袋を下げている。
「……ごきげんよう。ビッテンフェルト提督」
 失礼のないよう、そう挨拶をかえす。どうも今日は、プライベートの確保される空間にいかないかぎり、こうして人に絡まれる日であるらしい。
「さぼりか? いつにも増して顔色が悪いな」
 軽く雑談して去ってくれればいいものを、わざわざベンチの隣にドカリと腰を落ち着けながらそう尋ねてきた。うっかり睨んでしまわぬよう、すぐに視線をはずした。
「そんなところでしょうか」
「疲れているのだろう。早引けしてはどうだ?」
 存外親切にそう申し出られ、意外に感じた。私にいい印象がない提督ですら、そう申し出ずにいられんほど酷い顔をしているのだろうか。
「キルヒアイス閣下にも、ひどくご心配をおかけしてしまったようです」
「あの方はおやさしいからな」
「ええ……本当に」
 だから、私は……。
「……いそぎ対処を要する案件がございますので、これで失礼します」
 立ち上がり、その場を去ろうとする。だが、重い筋肉のついた彼の腕がのび、私の腕をしたたかに握り留めた。痛みにうめく。鉄のおもりに腕をかまれたようだ。
「まて。卿は本当に疲れて見える。今は無理に働いてはならん」
「大丈夫です」
「大丈夫ではない」
「大丈夫ですから」
 彼から逃れようとする。ビクともしない。
「なあ。卿、おれを前にしても、震えたり涙ぐんだりしなくなったな」
 そう言われ、はたと気づく。
(そうか。顔色はともかく、未来から私が遡行してきたことによって、周囲からすれば、私が突然別人になったように見えるのだ)
「それは……」
「そんな余裕すらないほど疲れているなら、なんとしても休んで貰う」
 かたくなに彼がそういう。ギリリと歯ぎしりした。私には、こんなことをしている暇などないのに。
「だが、卿がそうならなくなってくれたことは、おれはうれしい」
 抗議しようとするとビッテンフェルトがそう続け、私はあっけにとられた。
「すまない。いつも、他の提督たち――ロイエンタールとミッターマイヤーが特にそうなのだが――彼らが卿を悪く言うのを、止めてやれなくて」
 あまりに予想しない台詞がさらに続き、理解に苦しんだ。
(これは、なんだ?)
「いつも謝りたかった。卿を見下しているわけではない。卿には卿の得意分野があり、伯のお役に立っているし、戦果をあげる人間だけで社会が成り立っているわけではない」
 私はいつの間にか、ビッテンフェルトの話に聞き入っていた。彼がフフッ、と、てれくさそうに笑う。
「そう言いたかったのだがな。卿は、おれが近づくだけで震え上がって涙ぐむものだから、話しかけるに忍びなくてな……実際、おれは助け船のひとつも出さぬから、卿からすれば敵に見えただろう」
 彼は、そんなことを思っていたのか。
 見た目や噂に反し、不器用ながらも優しさを垣間見せたビッテンフェルト提督を、私は意外な気持ちで眺めていた。
「やっと言えた。よかった。……で、だ。今の卿は本当に顔色が悪い。おれが連絡しておいてやるから、卿はもう帰って休め」
 彼の方がむしろ涙ぐみ、そう言ってきた。私にも、こればかりは断れなかった。
「困ったことがあったら、何でも言えよ」
 去り際、彼は後ろからそう(大声で)よびかけた。