私に愛をおしえて
その2

「物置にそれらしいものはあったか?」
「いや、何もない。あの死体くらいだ」
「……奴が持っているかもしれんな。いまいちど調べよう」
 二人は物置に戻った。オーベルシュタインの言うとおり、物置には壊れた家具が雑多に放置されている程度で、使えそうな品は見当たらない。
 ビッテンフェルトが死体の傍にかがみ、今度は傷ではなく、身につけているものを調べる。死体が着ている上級大将の軍服は、よく見れば軽く似せてあるだけのお粗末なものであった。鍵などは持ち合わせていないようで、服を脱がせてひっくり返してみても何も出てこない。
「……何も持っておらんな。他の部屋を調べるぞ」
「わかった」
 オーベルシュタインが頷く。
 二人は物置を出て、すぐ隣の部屋に入った。隣の部屋には、明かりが灯されていた。飾り気のない簡素な部屋で、ベッドと机くらいしか目につくものがない。
 だが、この建物の荒れ具合を考慮すると、この部屋は妙に綺麗だ、とビッテンフェルトは感じた。
「掃除されている」
 同じように感じたらしく、オーベルシュタインがそのように呟く。ビッテンフェルトは頷いた。
「もとは使用人室だろうな」
 貴族の生まれのオーベルシュタインがそうコメントする。
「さっきの偽物が、ここに寝泊まりしていたのだろうか」
 ううん、と首を傾げつつ、ビッテンフェルトが言う。
 彼がベッドに近づき、シーツに手をすべらせる。埃は積もっておらず、つい最近まで使われていたようにビッテンフェルトには思われた。
「かもしれん」
「明かりはなぜ点くのだろうな?」
「小型の発電機か何かを持ち込んで使っているのだろう」
「なるほどな」
 オーベルシュタインに頷きつつ、ビッテンフェルトは次に机へ近づいた。
 机には、いくつか引き出しがあった。ビッテンフェルトはそのひとつに手をかけ、ひっぱって中を覗いた。
 中には、ねじれた角のようなモチーフのペンダントトップがひとつあった。山羊の角のペンダントらしい。
「ふむ……」
 ビッテンフェルトはそれを取り出し、目の前で数秒ばかり揺らして眺めたあと、『役に立たなさそうだ』と判断し、天板の上に置いた。他の引き出しも順に探り、鍵などがないか探す。しかし、ここにはペンダント以外なにもないようだ。
「……だめだ。この、よく分からんものしかない。他をあたろう」
 ビッテンフェルトはフイッと扉の方を向き、玄関ホールへと向かっていった。
「ああ。わかった」
 後ろでオーベルシュタインが応じ、ビッテンフェルトの後に続く。
 そのとき彼は、音もなくペンダントを拾い上げ、自分のポケットに滑り込ませた。しかし、ビッテンフェルトはそれに気づかなかった。
      *
 彼らは次に、さらに隣の部屋へ入った。そこはバスルームであった。薄暗く湿ったタイル張りの脱衣場に、独特の重苦しい瘴気が満たされている。
「むぐっ……!」
 ビッテンフェルトは敏感な鼻をふさぎ、おぞましい臭気から顔を背けた。その臭いは脱衣場の向こう、浴室の中から漂っているらしい。
「……この、臭いは……」
「……ああ」
 ビッテンフェルトは青ざめ、隣にいるオーベルシュタインも常より顔を白くし、奥へと向かう。二人とも、浴室に何があるか予想できていた。
 二人が浴室に近づく。扉の隙間からは、さらに濃く腐敗臭が漂っている。
「……なあ。ここに鍵があると思うか?」
「……もし、犠牲者の中に家主がいるとしたら、な」
 オーベルシュタインが低い声で応じる。ビッテンフェルトはハァ、と不服そうに溜め息を吐いた。しかし、キッと鋭い目で浴室の扉をみやる。
「仕方がない。行くぞ!」
 彼は意を決し、ガチャンと扉を開いた。瞬間、むせ返るような腐敗臭が二人を襲う。
 浴室には一見、なにもなかった。その代わり、バスタブに蓋がされている。それを恐る恐るビッテンフェルトが持ち上げると、予想通りの代物が、想像できるかぎり最もひどい状態で発見された。
 中では、無惨に四肢を切断された無数の死体が詰まり、腐敗し、黒く濁った血溜まりに沈んでいた。
「うっ……! ぉ、ええっ」
 ビッテンフェルトが青い顔をし、パッと顔を横に背ける。びちゃびちゃ、と、彼は夕食をすべて吐き出してしまった。オーベルシュタインは、口を押さえてなんとか耐えた様子だった。
 ぜいぜい、とビッテンフェルトが呼吸を荒らげ、口元を拭う。
「すまん」
「かまわん。正常な反応だ」
 応じつつ、オーベルシュタインはバスタブに近づき、中へと手を伸ばした。ビッテンフェルトがぎょっと目を剥く。
「どうする気だ?」
「なにか、死体のポケットに白いものが……」
「おい、ここに手を突っ込む気か?」
「もし、これが鍵なら……」
 そう応じ、オーベルシュタインは意を決したように片手を肉塊の海に突っ込んだ。
「うひっ」
 隣で、自分で触った訳ではないがビッテンフェルトが小さく悲鳴をあげる。
(よく触れるものだ!)
 彼は心の内で賞賛した。生還の暁には口頭でも賞賛してやろう、と彼は心に決めた。
 オーベルシュタインが片手を屍肉にまみれさせて取り出したものは、鍵ではなくメモ書きだった。落胆は肩を落とす程度に留め、彼の目がメモを走る。
「……ふむ」
「なんと書かれている?」
 ビッテンフェルトが尋ねると、オーベルシュタインは無言でメモを渡した。うう、とビッテンフェルトは呻きつつ、腐肉にまみれたメモをつまんで内容を読む。
『ここは何処だ。確かに食べるものはあるが、こんな場所で暮らせるわけもない。
 どうにかして一緒に脱出しなければ。
 鍵はどこにあるのだろうか?もしかして――』
 以降は読み取れない。
「……こやつらも、ここに閉じ込められたのか?」
「注意した方がよさそうだな」
 オーベルシュタインの言葉を聞き、ビッテンフェルトが相手に目を向ける。
「これほど多くの犠牲があるなら、あの偽物ひとりの犯行ではないだろう。他にも何者かが居る、と考えた方が良い」
 ビッテンフェルトはゴクリ、と唾を飲んだ。
「武器を確保しよう。オーベルシュタイン、銃は?」
「ない。卿は?」
「起きた時にはなかった。食堂に行こう。使える刃物が残っているやもしれん」
「わかった」
 二人はバスルームを出て、向かいの食堂へと向かった。
      *
 食堂もまた、使用人室同様に清掃されていた。あるものはテーブルと椅子くらいで、とくに目につくものはない。二人は警戒しつつ、奥のキッチンへと向かった。
 キッチンもまた、同様に清掃されており、調理器具や調味料などが埃ひとつなく綺麗に並べられている。
 ビッテンフェルトは手前にあった油の瓶を手に取り、賞味期限の日付を確認した。まだ先の日付である。
「しばらく暮らしていたらしいな」
「うむ」
 ビッテンフェルトはキッチンの納戸を漁り、見つけた包丁を手に取った。銀色の刃がにぶく輝く。食材が切れる程度には手入れされているようだ、と見て取れる。
「こんなものでも、ないよりはマシか」
 ビッテンフェルトが呟く。彼が包丁をベルトに挟んでいる間、オーベルシュタインは冷蔵庫を開けた。
「こちらにも、まだ期限のきていない食材があるようだ」
「そうか。いざとなったら、腹ごしらえもできそうだな」
「……食べるのかね?」
 怪訝そうな表情でオーベルシュタインが振り向き尋ねる。ビッテンフェルトは「はっ」と笑った。
「いざとなったら、だな。今はまだ吐き気がひどくて食う気になれん」
「そうだな」
 オーベルシュタインが冷蔵庫の扉を閉じようとする。その前にビッテンフェルトが近づき、扉を押さえた。
「おれも中身を見ておく。肉はあるか?」
「……あるぞ」
 ややあきれた口調でオーベルシュタインが応じ、冷蔵庫から離れてビッテンフェルトに場所を譲った。ビッテンフェルトがいそいそと中を覗き込む。言われたとおり、そこには肉もあった。
 ふと、肉の辺りにメモが入っているのをビッテンフェルトは見つけた。『消費期限か?』と思い、彼はそれを取り出して読んだ。直後、彼は硬直した。
『目が覚めたら目の前にあいつがふたりいた。
 どういうことだ?
 本物はきっと、生きているあいつなのだろう。
 早くふたりで脱出しなければ』
 ビッテンフェルトは本能的にメモをサッと戻し、何事もなかったふうを装った。
「肉の期限も大丈夫そうだ!」ニッと笑顔もそえる。
「そうか」
 オーベルシュタインはそっぽを向いたまま、特に何も気づかぬ様子で応じた。手に持っているものを見ると、持ち出す武器を綿棒にした様子である。
 ビッテンフェルトは冷蔵庫の扉を閉めた。
「武器は得た。ここにも鍵はなさそうだな。二階を探るぞ」
「ああ」
「いちおう聞くが、卿に白兵戦は……」
「期待するな」
「わかった」
 ビッテンフェルトはそれとなく遅く移動してオーベルシュタインを先行させ、その後ろ姿や横顔をよく確認した。見間違いではない。どこからどうみても、オーベルシュタインそのものである。声にも発言にも軍服にも顔にも、違和感はまったく見当たらない。
(『目が覚めたら目の前にあいつがふたり』……『生きているあいつ』……『ふたりで脱出』……どういうことだ? おれと同じだ!)
(だが、オーベルシュタインの偽物は既に死んだはず)
(こいつは、)

(こいつは、オーベルシュタインか?)

 ビッテンフェルトは、オーベルシュタインに続いて食堂を出ようとした。その瞬間、ズキリ、と痛みがはしる。
「ぐっ……!?」
 それは後頭部の痛みであった。殴られた傷が突然ひらいたような痛みである。おもわず手をやってみると、みずからの手にベットリと血がついているとわかる。
「んなっ……!?」
 攻撃された訳ではない。オーベルシュタインにも、他の誰にも触れられてはいない。
(どう、なって……!?)
 ぐらり、とビッテンフェルトの視界が歪む。

 どさり、と、オレンジ髪の猛将はその場に倒れ伏した。

つづく