私に愛をおしえて
その4

 ビッテンフェルトが次に入った隣の部屋は、寝室であった。ここは綺麗に整頓・清掃されており、誰かが最近使用していた痕跡が残っている。ただ、ものはさほど置かれていない。目に付くものはベッドと、ベッドのサイドテーブルくらいである。
 ビッテンフェルトはサイドテーブルに近づき、横の引き出しを開けた。ごちゃごちゃと色々な小物がいれられている。彼は期待に胸を躍らせ、その中に鍵束かなにかないかを探したが、目当てのものは見つけられなかった。彼のたくましい肩が落胆に落とされる。
 ふと、彼の目があるものを捉える。それは、銀色に輝く、よく手入れされた切れ味のよさそうなナイフであった。持ち手には美しく装飾が彫り込まれており、『儀式用の短剣だろう』と感じさせる。
(そういえば、包丁は……)
 ビッテンフェルトは自分の腰をみた。ベルトに挟んでいたはずの包丁が見当たらない。おそらく、オーベルシュタインが『もう武器は必要ない』『剥き出しの包丁を身につけていたらかえって危険だ』と判断し、回収してしまったのだろう。あの包丁は今頃、一階のキッチンで食材を刻んでいるのかもしれない。
(……念のためだ。これのほうが取り回しがよさそうでもあるし)
 そう考え、ビッテンフェルトは銀のナイフを持ち出すことにした。

 次に、ビッテンフェルトは改めて『こどもべや』を探索しておくことにした。燭台はオーベルシュタインが持ち出していったため、今はこの部屋にはない。しかし、弱々しいが電灯がついているので、探索には支障なさそうだ。
 こどもべやは、先程同様にかわいらしいデザインの壁紙で装飾されている。デザインの傾向から察するに、この部屋の持ち主であった子どもは女児であろう、とビッテンフェルトは推測した。部屋で目に付くものは、机、クローゼット、棚である。
 彼はまず、机を調べることにした。机の上には、女児が喜びそうなかわいらしいデザインの日記帳が置かれている。中には、つたない文字で文章がつづられていた。
『×月×日
 きょうからにっきをつけることにした
 ママともうひとりのままはよろこんでくれた

 ×月×日
 わたしはみにくいので、なので、ママがほかのひとになれるはなしをしてくれた
 わたしならできるらしい

 ×月×日
 ままがわたしのこいびとをつれてきてくれる
 みにくいわたしをあいしてくれるひと

 ×月×日
 ママをころした

 ×月×日
 まただめだった
 
 ×月×日
 だめだった

 (以下、同じような記述が続く)

 ×月×日
 きっとわたしをあいしてくれるひとがいる、とママがいっていた
 ママはとてもやさしい
 にんげんのわたしにもやさしい

 ×月×日
 つぎはあなた
 つぎはわたしをあいしてくれる
 ママがいってたなら きっとそう』
 なんとも不気味でおぞましい文面に、ビッテンフェルトの背筋が冷えた。
(……これは……この少女は、まさか……他人に化けている? 今はもしや、オーベルシュタインに?)
(いや、まさかな。よりにもよって、愛されたいと望む者がオーベルシュタインに化けるか? いったい誰が、奴を愛するというのだ?)
 ビッテンフェルトはそう考え、笑いかけた。笑う直前、彼は固まった。
(……まさか)
 ビッテンフェルトの胸に、ひんやりとしたものがよぎる。彼は頭をブンブンと振るい、最悪の想定を振り払おうとした。
(まだ、なんら確証のないことだ)
 次に彼は、本棚をしらべた。あったのは、幼児向けの絵本ばかりだ。その中でも特に劣化がはげしく、読み込まれた様子のある絵本が一冊ある。その本には埃が積もっていない。それは、『七匹のこやぎ』の本であった。
 内容は、よく知られているものと大差ない。ただ一部、印がつけられている箇所があった。ここが持ち主のお気に入りの箇所だったのであろうか。
『声でばれてしまった狼は、薬屋に行くと、声が綺麗になるチョークを買いました。
 足の色でばれてしまった狼は、パン屋を脅し、小麦粉で足を白くさせました。
 そのせいでこやぎたちは、狼を自分たちの母親だと思って開けてしまったのです。

 狼は次から次へとこやぎを食べてしまいます。
 末っ子のやぎだけは、大きな時計の中に隠れていたので、
 食べられることはありませんでした。』
(……大きな、時計……?)
 柱時計の挿絵を見つつ、ビッテンフェルトが思い起こす。彼は、この屋敷のどこかで柱時計を見かけていた。それは、どこであったか。
 ビッテンフェルトが絵本を読んでいると、絵本からヒラリと一枚の写真が落ちてきた。それは、幸せそうに笑う女性と、彼女に抱えられた幼い少女を写した写真であった。
 しかし、幼い少女の顔はなぜか、黒いマジックで塗りつぶされている。
(……これは……)
 ビッテンフェルトの中で情報の断片がつながってゆき、徐々に、この屋敷の真相が見えてきていた。
 この写真に写った、母親の女性は亡くなっている。しかし、この幼い少女はまだ生きている。そして恐らく、まだこの屋敷に居る。『あいしてくれるひと』を渇望しながら。
 ビッテンフェルトはバサリと絵本を床に放り捨てた。すぐにクローゼットに向き直り、ザッザッと大股に近づくと、ガチャリとその扉を開く。
 目に入った光景の異様さに圧倒され、ビッテンフェルトはヒュッと息を呑んだ。
 開いた一瞬、そこに鏡があるのかと思った。だが違った。写真だった。無数の自分の写真が、一面に、所狭しと貼り付けられている。
「っ……! くっ、!」
 ビッテンフェルトが後ずさる。そこに集められている写真は、どれもカメラ側に目が向いていないものばかりであり、彼には撮られた覚えのないものばかりであった。盗撮されたものであろう、と気づく。
 ふと下を見ると、なにやら膨大な資料が落ちている。ビッテンフェルトは、それをひとつ取り上げて読んでみた。そしてまた、彼は青ざめた。
 それらは、ビッテンフェルト、そしてオーベルシュタインについて調べた、膨大かつ詳細な資料群であった。
(間違いない。ここにいる『子ども』はオーベルシュタイン、それか、おれに成り代わろうと準備をしていた!)
 バサッ、と、ビッテンフェルトが資料を床に放り捨てる。彼はナイフが腰におさまっていることを手で再度確認すると、扉を蹴破らんばかりの勢いで通路に出た。
 すると、階下からガチャガチャと鎖を鳴らしているような音が響いた。ビッテンフェルトが目を剥く。『助けが外からやってきたのかもしれない』と彼は考え、暗い階段で可能な限り急いで下に下りていった。
 彼が落胆したことに、玄関ホールには誰もいなかった。玄関の施錠もそのままである。
 ビッテンフェルトは階下まで下りていき、オーベルシュタインを探して食堂へと向かった。食堂のテーブルには、ミートパイとおぼしき品と、サラダとスープとが並べられている。オーベルシュタインが用意した食事だろう。だが、肝心のオーベルシュタインの姿がない。
「オーベルシュタイン?」
 ビッテンフェルトは大声で呼びかけつつ、奥のキッチンへも探しにいった。キッチンには調理の痕跡が残っていたが、オーベルシュタインの姿は見当たらない。
(便所にでも行ったか?)
 ビッテンフェルトは玄関のホールへ戻った。ふと、またあのガチャガチャという音が聞こえた。音は、物置の方角からしてくる。彼は不思議に思いつつ、物置へと向かった。

 物置の扉を開くと、先程と変わらぬ埃臭さと、もう一人のオーベルシュタインの死体があった。
 ふと、ビッテンフェルトは物置の壊れた柱時計に目をとめた。彼が柱時計を見かけたのは、この場所だったのである。
(末っ子のこやぎが隠れて、難を逃れた場所……まさかな)
 そう思いつつ、彼は柱時計に大股で近づいていき、その周囲をようく調べてみた。
 すると、柱時計を動かしたような形跡が床にあることに気づいた。ビッテンフェルトは、その形跡にそって柱時計を押した。柱時計はハリボテのように軽く、やすやすと動いた。そして後ろには、地下へと続く階段の入り口が隠されていた。
 ビッテンフェルトがゴクリと唾を飲む。直感的に、この下にすべての真実が隠されている、という気がしていた。

つづく