私に愛をおしえて
その5

 地下へとつづく階段は暗かった。しかし、行く先からは薄明かりが洩れており、通路がぼんやりと照らし出されている。ビッテンフェルトはわずかな明かりを頼りに慎重に階段を下りていった。
 下りた先には、地下室があった。薄暗い白い光が満ちている。その光源となっているものは、壁一面のモニターであった。モニターには、つい先ほどまで彼が探索していた、屋敷内部の各所の様子が映し出されている。
(これは……監視室、か? おれたちはここで監視されていた? ……一体、だれに?)
 見れば、屋敷の玄関ホールを映すモニターがあり、そこにはオーベルシュタインの姿がある。片手に燭台を持ち、しきりに辺りを見回しているようだ。自分を探しているのだろう、と、ビッテンフェルトは思った。
 ふと、この部屋には他にも異質なものが存在することにビッテンフェルトは気づいた。それは、檻であった。人が数人すっぽり収まるであろう大きな檻が、モニターの青白い光に照らされている。檻の中では、ビッテンフェルトから反対側の壁を背にして、だれかが一人座り込んでいる。
 それは、オーベルシュタインであった。オーベルシュタインが膝を抱え、檻の奥でうずくまっている。
「オーベルシュタイン!?」
 ビッテンフェルトは驚きに声をあげ、檻に駆け寄った。その声に応じ、捕らわれたオーベルシュタインが目を上げる。その顔は変わらず陰気で痩けていて青白く、うつろで何もないようにみえる義眼がぎらりと光を反射していた。
 ビッテンフェルトはまたモニターを見直した。モニターによると、玄関ホールにもオーベルシュタインが存在している。燭台を片手に持った、おそらくつい先ほどまで自分と行動を共にしていたオーベルシュタインである。
 ビッテンフェルトは檻に視線を戻した。自分の記憶ともモニターに映った彼とも寸分たがわぬオーベルシュタインがまた一人、そこにいる。
「……ビッテンフェルト提督か?」
 檻の中のオーベルシュタインは、かすれた声で弱々しくそう尋ねてきた。ビッテンフェルトは頷いた。
「そうだ」
「……そこの、モニターで見ていた。大事ないか」
「ちょっと頭の傷口が開いたようだが、今は問題ない」
「そうか」
 それを最後に、しばし沈黙がおとずれた。オーベルシュタインが再び口を開く。
「『あれ』が何なのか、私にはわからない。私は、本物のパウル・フォン・オーベルシュタインだ……」
 彼曰く、事態はこのように進んだ。
 まず、ビッテンフェルトと同様、彼もまた帰り道で襲われ、ここに誘拐された。気づけば、すでにこの檻の中であったという。
 さらに、檻の向こうには自分と全く同じ容姿の男が立っており、彼を見つめていた。
『これは、わたしが〝あい〟をてにいれるためのじっけんだ』
 奴は、そのように話していたという。
「卿が探していた玄関の鍵は、私が持たされている」
 そう言うと、オーベルシュタインは手に握っていた鍵を見せた。それは、ビッテンフェルトが見た南京錠に合うサイズと思しきものである。
 ビッテンフェルトは、ぱあっと顔を輝かせた。
「そいつはよかった! ようやく外に出られるというわけだな。さっそく助けを呼んでこよう。そいつを寄越してくれ」
 ビッテンフェルトが嬉しそうに言う。だが、オーベルシュタインは動こうとしない。
「……どうした?」
「……まず、この檻を開け、私を解放してもらいたい。そうしたら、この鍵を渡そう」
「そうはいっても、鍵らしいものは見つけられておらん。だが、助けを連れてこられれば、この程度の檻を壊すことくらい造作もあるまい」
 ビッテンフェルトがそう言っても、オーベルシュタインはますます警戒を強め、玄関の鍵を抱きしめるようにして胸に引き寄せるばかりであった。
「……それで、卿が助けを連れて戻る保証は? それまで私が無事でいられる保証はどこにある? 私とて帝国軍人、死を恐れなどしないが、こんな所で訳もわからぬまま命を落とすのは御免被る。そもそも、」
 オーベルシュタインはそこで一度言葉を切り、すう、と息を吸い込んだ。
「卿は……本当に、ビッテンフェルト提督か?」
 そう言葉をつむぐと同時に、鍵をますます強く握りしめ、つよく胸に引き寄せる。
 ビッテンフェルトは目を瞬かせた。尤もな疑問だ、と彼は納得していた。自分そっくりの偽物を目にしたのだから、他人の偽物も疑って至極当然である。
「ああ、そうだ。だが、今ここで証明するのは難しいだろうな。……おれもまた、卿が本物のオーベルシュタインであるか、疑っている」
 ビッテンフェルトは静かにそう応じた。
 この屋敷はただの廃屋ではない。なんらかの実験場だ。こうして監視室があり、屋敷内はくまなくモニターされている。しかし、監視室にいたのは、この檻の中のオーベルシュタインだ。外に出る鍵を持っていたのも、地上にいるオーベルシュタインではない。
 違和感が強いのは、地上にいるオーベルシュタインだ。しかし、檻の中のオーベルシュタインは今やっと見つけたばかり。姿を変える呪文が実在するのであれば、本物を怪しく思わせる呪文も存在するのではないか? もし、このオーベルシュタインは檻に閉じ込められている〝フリをしているだけ〟だとしたら?
「……いいだろう。まずは卿を解放する。どちらが本物であるかは、脱出後に判断するとしよう」
「……ああ、たのむ」
「檻の鍵はどこにある?」
「おそらく、地上にいる〝私〟が持っているだろう」
 ビッテンフェルトは頷いた。モニターにまた視線を走らせる。そこでは、燭台を持って屋敷中を歩き回るオーベルシュタインの姿が映っている。
「わかった」
 決意を表すように、ビッテンフェルトがモニターを見据えて言った。
 そして彼が、檻の囚人に目を向ける。
「行く前にひとつ、卿に聞いておきたいことがある……」
      *
 ビッテンフェルトが物置を出ると、ちょうど、燭台を持ったオーベルシュタインと鉢合わせた。
「こんなところにいたか」
 オーベルシュタインは、ホッとしたような響きをにじませ言った。
「食事ができたぞ」
 そう言って食堂のほうを燭台で指す。しかし、ビッテンフェルトが動こうとしないので、オーベルシュタインは怪訝そうな表情をうかべた。
「どうした?」
「地下に、お前がもう一人いた」
 ビッテンフェルトがそう言い放つと、オーベルシュタインは僅かに目を見開いた。しかしすぐに、狼狽の色が無表情に書き換えられる。
「知っていたのだな」
「……ああ」
「なぜ、おれに黙っていた?」
 ビッテンフェルトが威圧的に目を細める。すると、オーベルシュタインは珍しく、ばつの悪そうな様子で少々視線をさまよわせた。しかし、それも一瞬のことである。彼はすぐに、鳶色のするどい眼差しに目を合わせてきた。
「……私が本物だ。私には、そうと分かっている。だが、卿は? 卿が『あちら』を本物だと誤認したら? ……それを警戒して、黙っていた」
「……ふん」
 ビッテンフェルトの両目の圧がやわらぐ。尤もな言い分だ、と彼は考えていた。そして、厄介なことに、どちらの言い分も〝オーベルシュタインらしい〟と感じられる。
(どちらかが偽物、あるいはどちらも偽物だとして、偽物もまた馬鹿ではないらしい)
「地下の奴は、お前が閉じ込めたのか?」
「そうだ」
「それは、いつのことだ? 最初に目覚めたとき、おれと居たと言ったな?」
「……すまない。そこの部分は嘘をついた。偽物の存在を隠すために。実際には……」
 彼曰く、彼もまた帰り道に背後から襲われ、誘拐された。ただし、はじめに目覚めた場所はビッテンフェルトの居た場所ではなく、さきほどビッテンフェルトが発見した地下室であった。
 彼は、もう一人の――〝偽物の〟オーベルシュタインに、あの檻へ入れられる直前に目を覚ましたという。目覚めた彼は抵抗し、運良く偽物を逆に閉じ込めることに成功した。
 偽物を閉じ込めたあとは、ビッテンフェルトと、もう一人の偽の自分とが存在することをモニター画面から知った。そして、地下室から階段を上り、物置に出たところでビッテンフェルトと合流した。
 その後は、先に話した顛末とそう変わらないという。
「…………」
 説明を聞いたあと、ビッテンフェルトは無言であった。
(わからん。どちらが本物だ? あるいは、本物のオーベルシュタインなど居らぬのか? どちらの言い分も尤もらしい。どちらの物言いも奴らしい)
(おれは、どうすればいい……?)
「……檻の鍵は、お前が持っているのだな?」
「ああ」
「では、そいつを渡してくれ。玄関の鍵は、下にいるやつが持っている。檻を開けることが、玄関の鍵を寄越す条件だと言っていた。この場は卿ら二人と脱出し、しかるのちにいずれが本物であるかを調べるとしよう」
 ビッテンフェルトが提案すると、オーベルシュタインは眉を寄せた。
「その考えは承服できかねる」
「なぜだ?」
「我々二人の不意をうち、誘拐できる輩だ。せっかく閉じ込めたものを、みすみす解放して危険を招けというのか」
「……そ、それもそうだが、脱出の手段があるのだぞ?」
「その鍵が本物である保証はない。通信機を奪われたとはいえ、誘拐の痕跡くらいは残っていよう。水と食料もあるのだ、このまま助けを待った方がよい。それに、そう……」
 オーベルシュタインが冷厳の気を撒き散らす。
「……下にいる者は、人間であるなら三日もすれば脱水症状で息絶える。そうしたら檻を開けてもよいだろう。さすれば、安全に玄関の鍵を手に入れられる。それがよい。三日間はここで助けを待ち、それで助けが来なければ、鍵を頂戴して脱出を図るとしよう。どうだ?」
 彼の冷気にあてられ、ビッテンフェルトがゴクリと唾を飲み込む。慣れ親しんだ、オーベルシュタインという存在の感覚だ。彼を愛するようになったビッテンフェルトにとっても、いまだ好くことのできない側面である。
「……ならぬ。それでは、お前が偽物であったら、こまることになるからな」
「私は本物だ。卿を始末しようとしていたなら、とうに成していたであろう。気絶した卿を介抱したのは、手当を施したのは私だ。そこに温かい食事を用意したのも。毒の混入を疑うなら、好きなだけ毒見をしてやる。安全なものだとわかるだろう」
「…………」
 ビッテンフェルトは言葉に窮した。オーベルシュタインの言い分は正しい。ただし、偽物の目的が、本当にビッテンフェルトの暗殺に関わるのならば。
『これは、わたしが〝あい〟をてにいれるためのじっけんだ』
 地下のオーベルシュタインが言っていた、目の前にいるオーベルシュタインが言ったという言葉が脳裏に反芻する。同時に、ビッテンフェルトが二階の部屋で発見した、『あいされたかった子ども』の文面が浮かぶ。
「……卿に、たずねたいことがある」
「なんだろうか」
 しばしの無音がおとずれる。廃墟となった屋敷の壁を、オーベルシュタインが持つ燭台の火がゆらめき照らす。
「おれを、愛しているか?」
 ビッテンフェルトの鳶色の瞳に、ろうそくの炎が反射して輝く。炎がそこに閉じ込められているかのように。
 オーベルシュタインの両目が見開かれ、ろうそくの炎が同じく反射した。
「……ああ、もちろんだ」
 彼の目元がやわらかく笑みを形作る。
「卿を愛している」
 それを聞いたビッテンフェルトは微笑んだ。それはうれしそうでもあり、同時にかなしそうでもあった。
「……いつか、本物からも同じ言葉を聞きたいものだ」
 彼は銀のナイフを振りかざし、目の前のオーベルシュタインへと突進した。
      *
 ビッテンフェルトの質問を聞き、檻の中のオーベルシュタインはしばし無言であった。モニターの青白い光に照らされ、捕らわれた彼は幽鬼めいて不気味に見える。
「わからない」
 彼はそう応じた。それから、くつくつと自嘲気味な笑いを響かせる。
「……われながら不器用なものだ。ここで『愛している』と、嘘でもよいから言えばいいものを。助けを要する立場だというのに……。変わり映えのない答えですまぬ。私は、確かに卿を好いている。卿が倒れたのをモニター越しに見て、心配した。だが、やはり私には『愛』とは何か、分からない。分からないが、命乞いのために口に出すものではないと思う」
 オーベルシュタインがそう応じると、ブハハッと豪快な笑いがビッテンフェルトから湧き上がった。
「はははは! そうか、そうだな! ちがいない。実に卿らしい答えだ!」

      *

 ビッテンフェルトの突進は偽物の不意をつき、銀のナイフは深々と彼の胸につきささった。
「………あ……?」
 ビッテンフェルトがナイフの柄から手を離し、偽物から距離をとる。心臓を深々と刺された偽物は、『信じられない』といった表情でヨロリ、フラリとよろめいた。
 その手から燭台と、背中に隠されていた他方の手から手錠とが落ちる。
「……おれを拘束する気でいたか。そちらの手が気になってはいた」
 ビッテンフェルトが静かに言う。
 偽物は、まだ未練が捨てられないといった様子で、胸に刺さったナイフではなくビッテンフェルトへと両手を伸ばした。一歩、一歩とよろめく足取りで近づく。ビッテンフェルトは、その分だけ後ろにあとずさり、距離をとった。
 偽物の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。オーベルシュタインと全く同じ顔の頬に、涙の筋ができていく。
(どうして今まで気づかなかったのか)
 ビッテンフェルトは思った。
 偽物の顔には、このうえなく決定的な違いがあった。それは、目だ。彼の両目は義眼ではない。本物の、生身の目がそこにあった。
 生きた瞳の虹彩がキュウと動き、彼の瞳孔が広がっていく。
「どう、して」
 偽物がかすれた声でつぶやく。
「わたし、は、……」
 偽物がまた一歩ちかづこうとし、ぐしゃりとその場に崩れ落ちた。
「……あいして、いる、の……に……」
 それを最後に、彼は動かなくなった。彼の胸元を中心に血溜まりがひろがってゆく。
 偽物とはいえ、恋人とそっくり同じ姿・同じ顔をした存在が絶命する様は、ビッテンフェルトの精神に少なからぬ衝撃を与えるものであった。
 ふと、玄関ホールが妙に明るくなったことにビッテンフェルトは気づいた。光源に目をやると、さきほど落ちた燭台の火が、ふるい絨毯やカーテンに燃え移っていることがわかった。
「――! まずい!」
 ビッテンフェルトは偽物の遺体にとびつき、身体中をいそぎ探った。さいわい、檻の鍵と思われるものはすぐに見つかった。ビッテンフェルトはそれをひっつかむと、全力疾走で駆けて物置を抜け、地下への階段を一足飛びで駆け下りていった。
 地下室に着くと、檻の鉄格子に手をかけたオーベルシュタインの姿がある。モニター画面には、ごうごうと燃えさかり勢いを増す炎が映っていた。
「鍵を!」
 オーベルシュタインが声を上げる。ビッテンフェルトは応じるのももどかしいとばかりに急いで檻の鍵を鍵穴につっこみ、何度か失敗しながらもどうにか合わせて回した。鍵はカシャンと外れ、檻の扉がキイと開く。
 ビッテンフェルトは、扉を押しのけるようにして出てきたオーベルシュタインの二の腕をひっつかんで持ち上げ、彼を引きずらんばかりの勢いで引っ張り階段を駆け上がった。物置を出て玄関ホールに戻ってみれば、炎は今にも出口をふさごうとしている。
「あっちぃ!」
 ビッテンフェルトが叫ぶ。オーベルシュタインも呻くが、炎に負けず飛び込んでいき、玄関を閉ざしている南京錠へと手持ちの鍵を突っ込んで回した。カシャン、と音をたてて鍵がはずれる。二人は、大急ぎで残りの鎖をほどいていった。炎が彼らの背中を舐める。
 ようやく全ての施錠が解かれ、玄関扉がギイイと軋んで動く。それを体当たりで押しのけ、二人はようやく屋敷の外へと飛び出していった。

 外に出た彼らは屋敷から距離をとり、ぜいぜいと息を弾ませながら振り返った。
 朝日に照らされた屋敷は、明るすぎるオレンジ色に輝いていた。ごうごうと音をたて、窓が割れ、炎が噴き出し、中にあるおぞましいもの何もかもと共に燃えていく。
 二人は、焼け落ちていく屋敷を見守った。

      *

 脱出後、彼らは近隣の警察に保護され、無事に住まいへ帰ることができた。あの屋敷は、オーディン郊外にある、とある廃村を領地としていた貴族の屋敷であったものだという。
 数日後、彼らの供述をもとに警察が調査した結果が世に知れるところとなる。あの屋敷からは、数十人分の骨が発見された。それらの中で一番古いものは、女性のものであったそうだ。奇妙なことに、「何人もの骨が合成されたような、異様な」死体も見つかったという。

 彼らは、我が身に起きたことそのままを、上官にして帝国の支配者たるローエングラム宰相には報告した。しかし、それ以外の者相手には詳しい事情を伏せ、『やっかいなテロリストに狙われた』といった説明をすることにしていた。当事者であるビッテンフェルトとオーベルシュタインの間でも、互いにこの事件の話をすることを避けた。
 やがて、事件の話題は風化し、他の様々な歴史的事件に埋もれて忘れ去られていった。

Ende