吸血鬼のオーベルシュタインとフェルナーの話
その8

 新帝国暦3年。満月が照らす、真夜中の首都フェザーン。
 
 寝静まり、人気のなくなった丑三つ時の街を、建物の影を縫うように1人の人影が先を急いでいた。彼は、一般的なフェザーン市民が着ているようなブランドの服を着て、そのフードを目深に被っている。小脇には、1泊2泊の小旅行の荷物程度の大きさのボストンバッグを抱えていた。
 急ぎ足で歩くフードの男が、こんな時間に出歩いていた帝国軍人の1人とすれ違った。その軍人は、見知った顔を目の端に捉え、バッと振り返った。

「フェルナー閣下?」

 名前を呼ばれたフードの男はピタリ、と歩みを止め、振り返って帝国軍人を見た。そこに居たのは、かつて、門閥貴族軍との戦いの折、ガイエスブルグ要塞を内部から崩壊させた功労者──ゴールデンバウム王朝からの旧来の彼の部下、ハウプトマン大佐だった。

『しまった』とフェルナーは考え、小さく舌打ちした。こんな時間だというのに、まさか見知った人間に会ってしまうとは。どうすべきか、を瞬時に考え、フェルナーは辺りを見回し、ハウプトマンに小声で語りかけた。

「……見つかっては仕方がない。これには、深い事情があるんだ。他の者に知られては困る。説明するから、こちらに来てくれ、ハウプトマン大佐」

 そう言って、建物の隙間の路地に向かい、ハウプトマンを手招きしてみる。すると、彼は眉を寄せつつも、疑わずについてきてくれた。フェルナーは内心、ニヤリとした。

 ハウプトマンを伴い、路地の奥まで進むと、フェルナーはバッグをそっと地面に置き、振り返って大佐をみた。フードを自ら、そっと下ろす。フェルナーの白銀のくせ毛と、翡翠色の瞳が露わになった。
 間違いなく、ハウプトマンが古くからよく知っている元上官──行動的で決断力があり、自分を敗軍の門閥貴族の下から、次なる覇者の軍旗の下へと誘ってくれた──死んだはずの、フェルナー“中将”であった。
 フェルナーは自分の口元に片手を添え、ボソボソと何とも判別できない小声で話し始めた。聞き取れなかったハウプトマンは、フェルナーの口元に耳を寄せ……

 無防備に首筋を近づけた。

 その瞬間、弾かれたように素早い動きで、フェルナーはハウプトマンに襲いかかった。片手で口を押さえ、一方で二の腕を捕らえ、吸血鬼の牙で大佐の首筋を容赦なく突き破る。そして、顎に目一杯力を入れ、大佐の中に毒を注ぎ込んだ。すると、驚いてくぐもった呻き声を上げ、暴れていたハウプトマンが、徐々に力を失い、やがて脱力し、大人しくなった。
 無言のまま、ビクビクと痙攣するだけになった大佐から、折角なので少々生き血を頂戴する。やはり、輸血パックの血液より、直接飲む血の方が遥かに美味い。フェルナーは、ひと飲みする度に身体に力が漲るのを感じた。
 やがて満足すると、フェルナーは大佐の首筋から牙を離し、意識朦朧としている大佐の顔を自分の方へ向け、目と目をしっかり合わせて次のように命じた。

「…貴官は、おれを見なかった。誰にも会わなかった。これは、ただの夢だ。すぐに忘れる。…いいな?」

 すると、ハウプトマンはコクリ、と頷いた。

「よし。…帰って、ゆっくり休むといい」

 フェルナーがそう言うと、大佐はふらつく足ですっくと立ち上がり、文句も言わずに路地の出口へと向かい始めた。“言い聞かせ”に成功したようで、フェルナーはフーッと安堵の溜め息をついた。彼には、もう息をする必要はなかったが。

 立ち去っていくハウプトマン大佐の背中を見送っていると、フェルナーの脳裏に彼と過ごした日々が思い起こされた。思えば、彼とはオーベルシュタイン閣下よりも長い付き合いだった。自分ほどの主張の強さはないが、彼もまた毒にも薬にも器用に変われる人物だ。この先、自分がいなくとも上手く生きていけることだろう。

 帝国軍人として、人間として生きた日々。それが今、自分に背中を向け、かつての部下と一緒に遠く去っていく。

 もう後戻りはできない。日の下へは、戻れない。

 そんな自覚を新たにしながら、フェルナーは大事な頼まれものの入ったバッグを拾い上げ、人目につかぬよう一層の注意を払いつつ、夜の町を通り抜けていった。

──────────

 やがて、フェルナーは見晴らしの良い国営墓地に着いた。芝生が美しく刈り込まれ、数本の木々が植えられ、英雄たちの葬られた墓碑が並ぶ丘に、満月の光が静かに照らされている。流石に、このような時間に墓参りをする人間はいないようだ。とはいえ、先程のこともある。油断はできない。早めに済ませなければ。
 光がなくとも見えるようになった目を、並んだ墓碑に素早く走らせ、目的の墓碑を探す。……あった。

 パウル・フォン・オーベルシュタイン。軍務尚書、帝国元帥。旧帝国歴、452年生。新帝国暦、3年没。

 墓碑の近くには、最近埋められたばかりの、墓穴を覆う盛り土があった。その辺りに向かって、フェルナーは空中に片腕を突き出し、真っ直ぐに盛り土を見つめながら、念を込め始めた。
 
「んん─────!!」

 盛り土の表面の砂が、パラパラ、と左右に転がった。

「む─────!!」

 更に少量多くの土が、左右にザラザラと別れ始めた。

「ふうう─────!!」

 水面を割るように、盛り土が左右に別れ、ザザザザと別々の山を作りながら、中央部に谷を作っていく。やがて、その下にある棺が完全に姿を現した。フェルナーは、両肩を上下に揺らしてハアハア、とわざとらしく息を切らしてみせた。
 
「──閣下、お待たせいたしました」

 その声に応えるかのように、穴の中の棺の蓋がひとりでに開く。

 正装の帝国元帥服を身にまとい、棺の中に寝かされていたオーベルシュタインが、ゆっくりと上体を起こし、彼の眷属を見上げた。
 
「…よくやった。初めてにしては、上出来だ」

 淡々とした軍務尚書の品評を聞き、フェルナーは苦笑しつつ、かぶりをふった。

「まったく。このような状況で、いきなり念動力を使い、しかも閣下の墓を暴きに来いとは。小官が上手く力を使えず、時間切れになって朝日を浴びて灰になってしまっていたら、どうなさるおつもりだったのです?」
「卿にできなければ、私は自分で出てこられるし、朝日も効かぬ。それに、卿に限って、夜明けの時刻を確認しない、などということはあるまい。子供に歩き方を教えても、練習させてやらねば、歩けるようにならんだろう?」
「うーん、小官、着実に人間をやめていっているのを感じますね」
「残念だが卿はとっくに人間をやめている。吸血鬼になっていっている、が正確な表現だな」
「では、今の小官はなんです?」
「成り立ての吸血鬼だ。長生きしたくば、精進するが良い」
「…了解いたしました。早く立派な吸血鬼になるといたしましょう」
「急がなくともよい。人間と違い、我々には時間がいくらでもあるのだからな」
「左様でございますか。……ところで、ご命令通りコレを持って参りましたが、中身はなんです?」

 そう言うと、フェルナーはボストンバッグに詰めて持ってきた、一抱え分ほどの銀色の金属製の容器を取り出した。容器には、ネジ式の広口の蓋がついており、中には何かが入っているようだったが、『開けるな』と言われていて中身は分からなかった。
 オーベルシュタインは棺と、墓穴から出てきて、フェルナーから容器を受け取った。無言のまま、オーベルシュタインは墓穴の中へ戻り、容器の蓋をキュルキュルと回して開け、おもむろに棺の中へ向かって容器の口を傾けた。内容物が、棺の中へと転がり出てくる。

 それは、ほとんど灰になっている1人分の人骨だった。

 自分が運んでいたものの正体に、フェルナーはヒエッと息を呑んだ。

「…これはっ…!?……誰なのです?」
「これが本物の“パウル・フォン・オーベルシュタイン”だ」
「!!?」
「彼は、何年も前に、誰に看取られることもなく、私が見つけたときには既に病死していた。私は、彼の名前と、人生と、そしてこの義眼とを借りていた。
 人間の社会には、いつの世にも、何処であっても、こうした忘れられた者が必ずいる。そういう人間──生まれた証拠がありながら、親しい者が居らず、そして人知れず死んだ人間──を見つけ、成り代わることで、私は、人の支配する世を永く隠れ過ごしてきたのだ。
 万一この遺体が見つかり、調べられ、彼の死が明るみになってはこまる。そのため、私は彼を荼毘に付し、灰と骨を集め、これまで手元に保管しておいた。
 彼の死の床に残されていた手記には、生まれつき目が見えなかった彼の苦悩と、遺伝子を盲信し彼の存在を否定してきたゴールデンバウム王朝への呪詛が、とめどなく書き綴られていた。
 それを読み、私は、彼の人生を借り受ける代わりに、彼の最期の願いを遂行してやることにした。ゴールデンバウム王朝を打倒し、新しい秩序を、本来在るべき銀河帝国を作るという、彼の願いをな。
 吸血鬼の人生は、自分の望みだけを頼りに生きるには少々長すぎる。すぐに生き甲斐がなくなってしまう。だから、私は人間の人生を借り受けるついでに、よくこうして生きる目標、つまりは生き甲斐を一緒に貰い受けるのだ。
 私は彼の人生の続きを生きて、望みを果たしてやった。天上ヴァルハラとやらが本当にあるなら、今頃彼はそこで喜んでいるかもしれんな。
 今こそ、彼に彼の人生を返すとしよう。“オーベルシュタイン”は死んだ。これは、彼の名前が刻まれた墓碑。彼を葬るべき場所は、ここをおいて他にあるまい」

 そう言うと、“吸血鬼”は、自身の目元に手を当て、眼窩に収まっていた義眼を両眼とも取り出した。彼の片手の掌に、球型の精巧な機械が2つ並ぶ。彼は瞼を閉じ、一方の手をその上に覆うように当てた。しばらくして手を退かし、彼が瞼を開けると、その眼窩には眼球が出現していた。瞳の色は、義眼の瞳と異なり、血のように紅い色をしていた。
 吸血鬼は、長い間借り受けていた義眼を、本当の持ち主と共に棺の中へ入れた。遺灰の上に置かれた義眼が、満月の光を受けて、宝石のようにキラキラと輝いていた。
 借りた物を返し、吸血鬼は棺の蓋を閉じようとして、ふと、内容物に目を落とした。棺の中の隅っこに、生花が1本だけ入っている。その花を吸血鬼は見つめ…ややあって、その花を拾い上げると、元帥外套の留め具に挿した。
 その後、吸血鬼は棺の蓋をゆっくりと丁寧に閉じた。墓穴から出て、振り返ると、彼は穴の上で片腕を水平に振り、空を切った。すると、ザザザザザッと左右に別れていた盛り土が一斉に中心に向かって流れ込み、オーベルシュタインの棺を元通り埋め直した。

 吸血鬼は、オーベルシュタインの墓碑の正面に移動すると、背中で両手を組み、彼が幾度となく見せてきた、すっと背筋を伸ばした姿勢で墓碑の前に立った。しばらく、フェルナーと共に、物思いに耽るように黙り込んで墓碑を見つめる。

「……ふむ。この男の人生、面白かった。短い間だったとはいえ、国家の簒奪、そして新王朝における重鎮とは。それも、これほど広大な国家の重鎮。私の永い人生の中でも、初めてのことだ。得難い経験をできた」
「これは意外なご発言ですね。閣下…いえ、もう、そのように呼ばれる人生はお返しになったのでしたね。ですが、慣れてしまっておりますので、とりあえず閣下とお呼びします。小官には、閣下が重鎮にならない状態を想像もできませんが」
「卿は人間でなくなったばかりだからな。人間のうち、社会の重鎮に成る者の割合を考えれば、当然、そうでないことの方が多いとも。その上、私は、忘れられた人間を選び、成り代わっているに過ぎない。この男に次ぐ重鎮に成った経験など、精々、小国の領主位のものだ。卿が聞き覚えのある者など、いるかどうか。ヴラド・ツェペシュ、あるいは、ジル・ド・レー…知っているか?」
「申し訳ございません、小官の記憶にはございません」
「無理もない。随分と昔のことだ。不死の人間がおらぬと同様、その人間がつくる社会も国家も不死ではありえず、また、人間の記憶とて、不死ではありえぬのだからな……」

 再び、2人はオーベルシュタインの墓碑に視線を戻し、沈黙した。夜風が吹き、周囲の芝生をさあっと揺らす。

「……さて。この男は、どの位人の記憶に留まるだろうか。直接会った者たちだけか、それともローエングラム王朝が滅ぶまで保つか、あるいは、王朝が滅んだ後も思い出される存在と成るか……まあ、それもまた、人間たちの決めることだな。
 人間たちが彼を忘れても、私はきっと永く憶えていることだろう。パウル・フォン・オーベルシュタインという名前と、彼の物語をな」

 フェルナーは、彼が眷属の契約を結んだ吸血鬼に目を向けた。妖しく、憂いを帯びた、人ならざる紅い瞳が、1人の人間の葬られた墓碑を静かに見つめている。この吸血鬼が過ごした時間の長さを、フェルナーはようやく実感した気がした。

 不意に、風に乗って人声が運ばれてきて、複数の人間が大声で話しながら近づいてくるのをフェルナーは感じた。弾かれたように首をそちらに向け、その距離を測ろうとする。やがて、遠くの角を曲がって、複数の人影がやってくるのが見えた。声がよりよく聞こえるようになる。……かなり、聞き覚えのある声だった。
 ビッテンフェルト元帥、ミュラー元帥、それにワーレン元帥が、側近を引き連れ、こんな真夜中に大声で会話しながら──正確には、ビッテンフェルト元帥1人だけが大声で話しながら──こちらに向かってきていた。フェルナーは吸血鬼に顔を向けた。

「閣下、長居は無用です。見つかる前に、この場を離れましょう」
「そうだな……いや、待て。これが最後だ。彼らにも、人生の刺激を贈っていくとしよう」

 吸血鬼の奇妙な言い分に、フェルナーは片方の眉を上げた。「卿は隠れていろ」と命じられ、腑に落ちない思いをしながらも、近くの木の下の茂みの影に身を隠す。
 吸血鬼は、どうしたことか、逃げも隠れもせずにオーベルシュタインの墓碑の前に立ったまま、元帥たちが近づいてくるのを待っていた。やがて、彼らの話し声のトーンが変わり、彼らが墓碑の前の人影に気づいたことがわかった。墓地の傍の道を外れ、彼らが芝生を踏む足音が、さくり、さくりと近づいてくる。閣下は、一体どうするつもりなのだ?
 元帥たちは、オーベルシュタインの墓の前に居る、長身痩躯の、半白の頭髪を持つ男性の背後に近づいた。恐ろしく見覚えのある背丈、髪型、姿勢、それに、灰色の外套……。まさか、そんなはずはない。ビッテンフェルト元帥ですら、恐怖で胸の凍るような思いが募る。息の詰まる感覚を覚えながらも、猪突で鳴らす彼は、怪しい人物に声をかけようとした。

 その瞬間、その人物がゆっくりと振り返り、元帥たちを見た。
 元帥たちは、彼の顔を、姿を、真正面から視認した。
 
 一陣の冷たい夜風が、帝国の影を担った証の、灰色の元帥外套をバサリと広げる。葬儀で棺に寝かされていた時のままの、きらびやかな正装の帝国元帥服。胸元に並んだ勲章。なぜか、元帥外套の留め具に挿された、一輪の花。血の気の失せた青白い肌、半白の頭髪、あまりにもよく知っている陰気な顔。そして……

 見たことのない、人ならざる輝きを放つ、両の紅い瞳。

 彼らがかつて、オーベルシュタインとして知っていた人物が。とっくに死亡し、つい先日、ささやかな葬儀を終えて、その墓の下に葬られたはずの彼が、紅い目を光らせ、そこに立っていた。
 彼は、元帥たちを見据え……ユーモアや笑顔とは無縁のオーベルシュタインらしくない、不気味な笑みを、ニヤリと満面に浮かべてみせた。

 まず始めに、ビッテンフェルトが叫び声をあげた。続いて、ミュラー、ワーレンも顔を真っ青にして恐怖の叫びをあげ、側近たちもそれに続いた。全員がグルリと踵を返して、足をもつれさせながら走り去っていく。歴戦の英雄たちが、慌てて一目散に逃げ出していく。
 その様子を見て、吸血鬼は、クックックッと肩を震わせて笑った。

「……ああ、逃げてくれてよかった。やっておいて何だが、もしあのまま立ち向かわれでもしたら、こまるところだった」

 フェルナーが茂みから這い出て、自分が従う吸血鬼の横に立った。

「……閣下、意外に悪戯好きでおいでだったのですね……」
「単なる思いつきだ。これで、そう簡単にはオーベルシュタインを忘れられまい。…さて、人を呼ばれでもしたら厄介だ。今度こそ、退散するとしよう。行くぞ。準備はできているか?」
「はっ。ハイネセンに向かう迂回ルートを確保しておきました。閣下の変装用の衣装や、その他の荷物の運搬についても、ご指定どおり手配済みです」
「よろしい。……ふむ、ハイネセンか…少々、憂鬱だな」
「嫌な思い出を、思い出されますか」
「ああ。あちらの国、どうも建物にガラス窓が多い。壁すべてガラス窓で出来ているような建築がやたらと多いのだ」
「窓?」
「姿が映る。卿もこれから注意せねばならんぞ。合わせ鏡になっているところなど…作らねばならぬ像の数に今から目眩がする」
「あっ……あー!そちらですか!てっきり、ビッテンフェルト提督…今は元帥におなりでしたっけ。彼に押し倒されたことかと」
「あれは…そうだな。少々痛かった。だが、あの程度の出来事は、人間オーベルシュタインのふりをして過ごした人生の、ちょっとしたスパイスのようなものだ。それ位の刺激がなくては、かえって生きる甲斐がない」
「はあぁ…流石は閣下ですね。……思えば、彼は、閣下を人間と思うと腹が立つ、などと言っていたとか。案外、彼も閣下の正体に勘付いていたかもしれませんね」
「そうだ。卿の次に、真実に近いところにいた…といっても過言ではないだろう。確信を持たれず、よかった。彼を眷属にするのは……色々な意味で御免被る。あのタイプは一見、思慮が浅そうに見えて、突然正体を暴いてくることがある。卿も油断せんようにな」
「なんと。…ええ、了解しました」
「それに……………いや、何でもない。行くぞ」
「はい、閣下」

 そうして、2人の吸血鬼が連れ立ち、英雄たちの墓場を音もなく去って行った。

──────────

 新帝国暦3年。銀河帝国首都フェザーン。その、郊外。

 国立葬儀場にて、その日、ささやかな葬儀が執り行われていた。そのセレモニーの主役は、偉大なる始皇帝ラインハルトと同じ日に亡くなった、銀河帝国軍務尚書オーベルシュタイン元帥である。地球教徒の手にかかり、自ら目を閉じて死を受け入れた彼の葬儀は、皇帝陛下の葬儀の関係で後へ後へと日程を遅らされ、今日ようやく執り行われたのだった。
 棺の中に眠る彼は、血の汚れを綺麗に拭われ、穴の開いた腹部も隠され、きらびやかな正装の帝国元帥服を着せられて横たわっていた。平時から血の気の失せた色をしていたお陰か、遺体となった今の姿も、生前の彼とそう変わらない印象を参列者に抱かせた。

 式が滞りなく進み、やがて、人がまばらになり、会場には運営担当者だけが残る程度になっていった。そこへ、オレンジ色の髪をした元帥が、力強く肩肘を張って決然と棺に近づいてゆき、永遠の眠りについた憎き冷徹の軍務尚書を見下ろした。
 ……本当に平時と変わりがない。今にも目を開け、いつもの冷淡な声で、いつもの不愉快な憎まれ口を垂れ流しそうである。だが、ビッテンフェルトがどれだけ睨んでいても、軍務尚書は微動だにせず、棺の中に横たわっていた。
 棺の横には、参列者のための献花用の花が用意されていた。しかし、人当たりの良かった彼の部下と異なり、彼の棺に生花を手向けた者はいなかったようで、軍務尚書の棺には、軍務尚書以外は何も入っていなかった。

 ビッテンフェルトは、棺の中のオーベルシュタインの顔を見据えた。

「…おれは貴様が大嫌いだった。今でもそうだ。貴様が帝国から消えてくれて、心底せいせいする。
 ……だが、貴様は最期に、自分の命と引き替えに皇帝カイザーをお護り奉ったらしい。忌々しい地球教徒どもの注意を自分へ向けて、皇帝カイザーの、砂金の粒より貴重な最期のひとときをおれたちに残したわけだ。
 そのことだけだ。そのことだけ、感謝してやる。どんなに嫌いな相手であっても、感謝すべきことを、感謝せぬまま捨て置いてはならんというのも、ビッテンフェルト家の家訓だからな」

 そう言うと、ビッテンフェルトは献花用の花を一輪、手に取り、棺の中で眠るオーベルシュタインの胸の上に、そっと手向けた。


Ende